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コロナ禍と出会い直す
不要不急の人類学ノート

​著者が届ける5つの観点

01. 人を数値に変換しない -「質的調査」の実施
02. 当事者と社会を接ぐ-1人称と3人称の往還
03. 試論:日本社会の「感じ方の癖」
04. 国内3カ所でのフィールドワークの実施
05. 失業者/非正規雇用の視点からの執筆

01

人を数値に変換しない -「質的調査」の実施

コロナでは、エビデンスといった言葉に象徴されるようにし、数値を用いた現状提示や予測が至ることころで行われ、疫学に秀でた人たちの言葉に注目が集まりました。もちろん数量データは大切ですし、それを扱う学問にも十分な敬意が払われるべきです。

とはいえ、人間は数値ではないことも事実。

 

私の専門である文化人類学は、聞き取りと観察をもとに、人間を数値に変えずに理解する方法を古くから探索してきました。

数字を駆使する研究を「量的調査」、語りや観察をベースにする調査を「質的調査」と言いますが、本書の魅力の一つは、この質的調査を行なってコロナ禍を分析している点です。

02

当事者と社会を接ぐ-1人称と3人称の往還

語りや観察をもとにするとはいえ、質的的調査は、エッセイや日記、ブログなどとは異なります。質的調査の魅力は、語りや観察から得られた人々の行動様式を、その人たちを取り巻く社会や、歴史の流れと結びつけ、一人の経験が、その人を取り巻く世界とどのように繋がっているのかを明らかにできることです。

 

本書では、県を跨ぐ移動の禁止や、コロナにかかった時の謝罪などコロナ禍の私たちに身近な私を取り上げ、そあれらが、当時の制度や、社会状況、あるいは日本の歴史とどのように結びつき、どのように影響されたのかを分析して描いています。一人称の視点と三人称の視点の往還が本書の見どころの2つ目です。

03

試論:日本社会の「感じ方の癖」

最近の日本の人類学は「社会」とか、「文化」とかいった言葉の利用を避ける傾向にあります。その理由には頷けることもあるのですが、新型コロナ、あるいはCovid-19という病気への対応は、国ごとに際立った特徴が現れるものとなりました。つまり社会や、文化の存在が比較を通じてありありと浮き出る状態となったのです。

これを踏まえ本書では、現代の潮流に逆行することを知りつつも、社会、文化という言葉をあえて積極的に利用する方法をとり、日本社会の「感じ方の癖」を論じることを試みました。

 

コロナ禍における、日本社会の「思考の癖」を歴史的な観点から論じたものは多くありますが、「感じ方の癖」という身体性を論じた点は、本書のオリジナリティの一つと考えています。これが魅力の3つ目です。

 

*「社会」や「文化」といった言葉を避ける人類学者が増えている理由については、「存在論的転回」というキーワードで検索をかけて調べてみてください。

04

現地でのフィールドワーク

人類学の調査の基本は現地に赴くフィールドワーク。しかしコロナ禍では、フィールドワークをオンラインインタビューに切り替え、それをフィールドワークの新しい可能性として発信する人々が現れました。

 

フィールドに行けない状況に多くの人類学者が陥ったので、仕方のない部分はあったのでしょう。それぞれに色々な事情があったのだろう思います。しかし、渡航規制がかかっていない地域をフィールドにする人類学者まで、調査を早々にオンラインに切り替えたのは衝撃でした。

私は人類学の門番ではないので、「これは人類学ではない」などと言うつもりはありません。しかし私は、自らが現地に赴くフィールドワークの力を信じていたため、現地の人々の協力を得ながら、2021年の夏より、ワクチン、検査、マスクといった複数の感染対策をとりつつ、国内でのフィールドワークを開始しました。

本書の魅力の4つ目は、コロナ禍中の国内3カ所におけるフィールドワークの実施です。

05

失業者・非正規雇用の視点からの執筆

 コロナ禍の当初、弱者は高齢者と基礎疾患を持った人、拍手を送るべきは医療関係者とエッセンシャルワーカーというわかりやすい構図ができ、それに少なくはない人文社会学者が賛同する状況がありました。他方私の前に広がっていたのは、ハローワークの開所前から、列を作って並ぶ失業者の人たち。ハローワークの場所が印刷された地図を手にしながら、ハローワークを探す人たちでした。

 メディアは病院の混乱やコロナの恐ろしさなどを盛んに取り上げていましたが、ハローワークには1人のメディアも来ていません。

 安定した職を得て、コロナ禍になっても何も困らない人たちが、生きる上で何が大切かを決めうちし、自信満々に大量の言葉やイメージを拡散し続ける。勤めていた大学の任期が2020年3月で切れ、失業者としてハローワークの列に並んでいた私は、この状況に全く乗れませんでした。本書には、当時の私の怒りや恐怖が流れています。

 これを魅力というのは憚られますが、コロナ禍で発信力を持った有識者や専門家はおしなべて、生活の安定が保障された人々でした。だからこそ、働き始めてからの人生の全てを、非正規と契約社員で過ごし、ついには、それすらも失った経験を持つ人間が、コロナ禍を分析することには意味があると思うのです。

 このような立ち位置は客観的でないと批判されるかもしれません。ですが私はむしろ、自分の主観性を隠し、あるいは気づかず、客観を装ってしまう方がよっぽど危険だと思っています。人はそれぞれ一人称の主観的な人生を生きていて、その人の価値観や世界観は、どれだけ客観を装っていても、必ず端々に現れるからです。

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